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花は心 種は態(わざ)

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「花は心 種は態(わざ)」

世阿弥が著した「風姿花伝」にある有名な言葉です。
わざが「技」や「業」ではなく「態」で書かれていることが気になります。

世阿弥は能楽の人なので「技」でも良さそうですが「態」。
大学院で学ぶようになってから、漢和辞典がお友達になっていますが、もれなく調べてみました(笑)
「態」の字を。

「態」は「心」+「能」でできています。
「能」は能力として良くできるの意味。
ある事ができるという心構えの意味から、すがた・身構えの意味を表す。

とあります。

それを踏まえて世阿弥が「技」や「業」ではなく「態」をつかった意味をちょっと考えています。

日本の文化(茶道や和歌、武道…などなど)は東洋の身体の修行論、とくに仏教の修行論から非常に大きな影響を受けています。その修行の特徴の一つが形です。茶道でも型を最初に学びますよね。つまり形を覚える身体的な訓練から心へ入る事を重視しています。

身体の訓練を通して心を訓練していくのです。

心というものを身体とわけず、そして一定で変わらないものではなく、身体の訓練を通して次第に変化していくもの。
そんな風に捉えているのです。

世阿弥は能の演技者ですから能の身体的修行を重ねることで、能の心の花が咲くと言っているのです。

これは今の私たちにはちょっと違和感があるかもしれません。
余り意識していないかもしれませんが当たり前に、何か固定的な心があり、それがアイデンティティだと思っているからです。

ちなみにこの文の前には

「花を知らんと思はば、先づ、種を知るべし」

とあります。

ちょっと読み変えると

「心を知ろうと思うなら、まず、身構えを知るべし」

という感じでしょうか。

心を知りたいなら、
身構え、姿勢や立ち居振る舞いという動作、
もう少し広く捉えると私たちの行動や行為を知ること。

何をするでも「心」次第と思いがちな現代人に一つのちょっとした示唆を与えてくれています。

現時点の自分の行動や行為、発言を知り、
身体を通して心を変化させ、
身体と心が一致した時にその人の花が咲く。

もの凄い個人的な意訳で怒られそうですが(笑)
そんな風にも読めたりします。

 

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