アヒムサー(非暴力)についてセラピストとして考えてみると…。

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ミルトン・エリクソンは

心理療法とは患者に足りないものを与えることではない。また患者が歪んだものを持っていて、その歪んだものを矯正することでもない。患者がすでに持っているにも関わらず、持っていることに気づいていないものを、どうやって患者自身が使えるようにしていくのか。そこを援助するのが心理療法である。

と言っています。

この言葉はまさにアヒムサーを実践した関わり方だなぁとつくづく思います。

私たちは、自分を大切にできていない時、自分の外側、他者の行動や心の動きに対して過度に意識が向きます。

そんな時、自分自身ではなく他者を大切にする行為を、自分を大切にすることとして代理的に使ってしまうことがあります。たとえば、過度にクライアントと距離を詰めすぎるセラピストなどもその一例です。

それによって引き起こされることの一つが共感疲労やバーンアウトなどです。

そんな時にやりがちなことの一つが、「あの人は〇〇すべきなのに…」と決めつけ、アドバイスしてしまうことです。これは専門的な知識があればあるほどやりがちですが、それによって相手の自主性を奪うという、小さな暴力とも言えます。

また、他者に良かれと思ってやっていることが、実は暴力であるとアヒムサーは教えてくれます。良かれと思っているという所がクセモノです。

確かに、目の前で苦しみ、困難な問題を乗り超えようとするクライアントさんの姿は見るに忍びない時がありますし、辛い目に合っているのであれば、何かに迷っているのであれば、どうすればいいのか言ってあげたいと思う衝動に駆られることもあります。しかし、それは単なる自己満足であり、クライアントさんが自力で乗り越えるチャンスを奪ってしまう側面があるのです。これもまた小さな暴力です。

「心配」。これもまた、一見良いように見えるところがクセモノですが、親切の皮をかぶった小さい暴力の一つです。「心配」を観察すると、そこには相手の能力を信じていないという側面が潜んでいるからです。つまり、「心配」は傲慢さの裏返しとも言えるわけです。その人を信じないで、その人の人生について自分の方がよく知っているという傲慢さです。

エリクソンにしろ、アヒムサーにしろ、私たちが出来ることは、その人を尊重することだけと教えてくれています。相手の能力を信じて、その人が自分自身で答えを見つけられると信じる事だと教えてくれます。

日常にはこうした小さな暴力が溢れています。小さすぎて気づかないこともしばしば。全てをいっぺんに変えることはできませんが、少し意識をむけてみることで、少しずつ変わってきます。そしてこうした小さな暴力を摘むことが、結果的には自分自身を大切にし、守る事に繋がっていくのだと思います。

「こころとつながるヨーガ」では毎月、一つずつヨーガの教えを取り上げて、日常の中で活かし自分と上手に関わる事を探っていきます。
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