「息」から見える私という存在。

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今、まさに日曜日に開催のこころつながるヨーガのレジュメを練っています。(ちなみに金曜日のも!)今回のテーマは「呼吸」。ただ、以前から感じていたのですが、特に今回猛烈に感じているのは、私がお伝えしているのは「呼吸」という表現より「息」とした方がしっくりきます。(のでこれからは「息」にします♪)

ヨーガの呼吸法を含め、一般的に呼吸法というのは、ある特定の心身の状態へ持ち込むために意識的に方法化された能動的な呼吸の仕方です。そのため呼吸法は私たちの「普段の息の仕方を変える」ことを求めてきます。

しかし、「普段の息の仕方を変える」ことを求められるという事は、普段の息についての在り方や認識を内包しているという事です。つまり、普段の「息」を知らずして呼吸法はあり得ないということです。

では普段の「息」どうですか?

当たり前ですが、私たちは普段の「息」は漠然としか捉えていません。しいて言えば浅いとか深いとか…。しかし、丁寧に「息」を観察してみると「息」には様々なリズムやペース、強弱などの様相があり、単調な「息」という現象が一つの大きな世界として現れ、私たちに溶け込んできます。

こうした、様相の質が関係の質そのもであり、様相の種類が私たちが他者や環境と関係する仕方の種類そのものなのです。

「息」を感じるということは、関係の仕方を私たちが生きている身体の動きの質として捉える態度であり、「息」を感じるという事は、今まさに生きている自己の全体性に触れることであり、「息」を感じるということは、全体としての自己がこの瞬間に生きて、ここにいるという実感を生みだす源なのです。

さらに「息」を感じるという事は自分自身だけでなく、自分と他者や環境との関係の仕方の表現であり、同時にそれを変化させることが出来る一つの方法です。

こうした「息」との関わり方は、感情に振り回されて自分を見失っている時など、自分を取り戻すのに大きな力となってくれます。「息」に立ち戻ることは外へと向いていた目を自分自身に取り戻すことに他ならないからです。

そしてもう一つの大事な側面があります。私たちの感情や思考がどこまでも乱れ不安や怒りに巻き込まれたとしても、私たちの肉体が病におかされたとしても、それもで尚、呼吸は生きる方向で働き続けてくれるという事実です。

もちろん意識的な呼吸法も大切です。でもその前に、この瞬間も私たち自身のために働いている「息」を感じてみませんか?

2/24(日)13:30~16:30の「こころとつながるヨーガ@京都」は「息」を中心にワークを進めていきます。自分と上手に関わるための土台である「息」、自分を生かしてくれている「息」を知ってみませんか?
お申込はこちらか ⇒ こころとつながるヨーガ

 

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